雑談室 2008年1月~


 岩手・宮城内陸地震 (2008.6.16、7.27追記)
速報
 6月14日(土)8:43、朝の一仕事を終えお茶でも飲もうかと思った瞬間、ガタガタと来た。こんな時はとりあえず柱の間隔が狭いところへ移動する。家が潰れても空間が確保されると思われる場所だ。とうとう宮城県沖地震が起こったと思った。これで地震エネルギーが放出されれば安心して新築も出来る。呑気にそんなことを考えていた。
 確かに、生命の危険を感じるほどではない。ちょっとぐらりと揺れただけでけたたましく吠えるうちのワンコは、相当驚いたようで鳴く事も忘れ、おどおどしている。とにかく近くに呼び寄せた。
 揺れが収まり始めた頃から狂ったように吠え始め、普段抱かれるのを嫌がるくせに、この時ばかりは肩まで這い上がってきて、「重いから降りろ」と言うまで5分ほどしがみついて離れなかった。

被害
脱線転覆 本物に換算するとどのくらいの力が加わっているのだろう。後で計算してみよう。
奥 チェスの駒 立っているのは一つだけ。震度3では1、2体倒れる。震度4では5体程倒れる。震度5になるとこの通り。短周期の地震では誤差の少ない地震計である。
ケニア産チェスの駒 (軟らかな石材)
前日たまたま整理のため机の上に置いたままだった。
上下が南北方向、左右が東西方向
東西の振動がより大きかった事が解る。

地震の度にここの本がごっそり落ちる。
有りあわせの材料で作ったため、奥行きが足りないのは百も承知。
落ちるのは数年に1回だから、特に困る事も無い。







唯一の犠牲者
ピアノの上から落ちたために、ワンコに拉致されてしまった。
男のくせにぬいぐるみ大好きで困る。











震源域近くへ行って見た
地震予知
 5年ほど前、宮城県に何度か地震が起こって以来、地震予知に興味を持ち、その類のサイトを時々覗いている。それ以来私なりに検証してきたが、素人が行っている地震予知は全く当らないどころか、かえって地震ノイローゼを増やすだけの有害情報であると認識するに至った。
 前兆も「地震雲に違いない」に始まり、カラスが鳴いた、ヘビが居た、ミミズが死んでいたと、どこが異常か全く分からない物や、耳鳴りだ、頭痛だ、圧迫感だと病院に行った方が良いと思われるような、とんでも情報ばかり集まる。
 私は頭からこのような前兆現象を否定したりはしない。ただ、その手法を確立するなら、情報を系統立てて整理し検証すべきで、「どんな情報でも良いからお寄せください」と言い、批判を荒しと決め付け排除するサイトは、一億年やっても地震予知なんて無理だと断言できる。
 科学的な実験を行う場合、最近の高感度センサであれば必ずノイズを拾う。フィルターによってそれを除かなければ、何を測定しているかさえ分からなくなってしまう。玉の情報が石の情報に埋もれてしまう事に気を付けねばならず、毎日耳鳴りがする、カラスが鳴いたなんてのは、真っ先に排除すべきであろう。

 地震前日の13日午後、奥羽山脈に見慣れない雲が出ていた。普段雲なんかに興味を持たない家内が、「あれ笠雲って言うの?」と珍しく聞いたので、はっきり記憶している。
 案の定地震予知サイトにこの雲の情報があり、「地震雲はある、間違いない」と力説していた。でもちょっと待って欲しい。その雲が地震の時だけに見られる特殊な雲だと言う証拠は、どこにも無いのである。
 地震雲の出来るメカニズムを無理やりこじつければ考えられないでもない。しかし、少なくとも3例の証拠、及び通常では見られないという証拠、加えて地震雲発生の合理的な無理の無い仮説が無ければ、地震雲はあると言えないはずだ。

 このような素人地震研究家は、公的機関が湯水のように血税を使い、何の成果も上げていないと必ず言う。調べ上げてそれを言うならそれも考え方の一つだと思うが、地道な研究成果などまったく目にしていないのであろう。
 現在の地震研究は驚くほど進んでいる。特に地震周期の短い宮城県沖、三陸沖の研究成果には目を見張る物がある。次の宮城県沖地震の予知は無理かもしれない。予知できたとしても発表する道程が整理されていないだろう。しかし、次の次の宮城県沖地震(おそらく50年後位)の時は、かなりの精度で予知が可能になっていると思う。
緊急地震速報
 今回の地震の15秒前にTVで緊急地震速報が流れたそうで、それを聞いた近所の人は外へ飛び出してきた。私はTVを付けていなかったので、知らなかった。
 その後二度の余震時に緊急地震速報が流れた。この時はTVを付けており、規模が小さかったため実際に揺れている最中に放送が流れ、この後に大きいのが来るのかと身構えたものの空振りだった。
 7月23日の岩手北部地震の時(拙宅の被害状況)は、揺れ始めて3秒程経過して放送が流れた。徐々に振動が大きくなるのではないかと緊張していたが、放送で震源地が岩手北部だと知る事ができ、これ以上揺れが強まる恐れが無いと落ち着けた。

 誤差が出たり間に合わなかったり、まだまだ改良の余地はあるようだ。しかし、とにかく大地震に先行して警戒情報が出るのは画期的なことだ。
 数秒あれば火を消し、熱源から離れ、身構える事が出来る。家の中で一番安全な場所に移動することも出来る。
 残念な事に、放送を受信していなければこの情報に接する事が出来ない。固定電話、携帯電話、インターネット等外部とのコミュニケーション手段すべてにおいて、緊急地震速報を受信する事が可能なはずで、そのような環境が早急に整えられる事を願う。

 高速道路走行中に緊急地震速報を受信した場合、急ブレーキをかける運転者がおり、事故を誘発しないかと言う懸念があった。しかし、現状の誤差をかなり含む情報であれば、半信半疑でスピードを落としても、急ブレーキをかける人は居ないと思う。誤差は「遊び」(遊戯ではなく「ゆとり」)として必要なのかも知れない。

 テレビを直した話 (2008.5.29)
 10年前に購入したブラウン管テレビがおかしくなってきた。時々ザーという雑音と共に音声と映像が途切れた。「昔のテレビはひっぱたくと直ったものさ」と冗談で叩いてみると、直ってしまった。
 しばらくそのような状態が続き、そのうち叩いても直らず、時々気紛れに写ったり映らなくなったりするようになった。番組の佳境でそんなふうになると、大いにイライラする。家で一番大きなメインのテレビなので腹も立つ。10年使ったのだから買い換えても良いとは思うが、何とかアナログ放送終了までは持たせたい。
 ウンともスンとも言わなくなったのなら諦める。しかし、症状から原因は接触不良としか考えられず、それなら何とかなりそうな気がしていた。
 夜中、内部を空けてみた。昔のテレビと違い、基盤が整理され図体に比例するほど複雑ではない。接触不良が起こるとすればコネクターかICのソケットだろうと、すべて挿抜するつもりであったのだが、ICはすべて基板にハンダ付けされ、いじれるところと言えばコネクター数十箇所しかない。
 他にもおかしなところは無いか部品すべてを触ってみると、左写真一番大きな部品がどうもグラグラする。これはおかしいと基板を裏返し、ハンダ付け部をルーペで拡大しじっくり観察すると、髪の毛より細いクラックが入っている。(右写真IC870と書かれた下の足)
 基板の印刷によればレギュレーター(電圧を一定に保つ部品)とあり、これが接触不良になれば規定の電圧が供給されなくなり、映らなくなる現象と矛盾しない。早速拡大鏡とハンダ鏝を用意し、ハンダを盛り直した。
 見事完璧に直った。この部品は他の部品に比べ大きい。輸送、移動でハンダが剥がれる可能性は高い。また、放熱板が付いているくらいだからかなり熱くなるのだろう。熱膨張でハンダにストレスが加わった可能性がある。コストダウンだろうか、部品の大きさに比べハンダの量も少ない気がする。
 気になるのはメーカーに修理を依頼した場合の修理方法。このようにハンダ不良を見つけられれば作業料だけの数千円で済むが、基板ごと交換されたら数万円と目の玉が飛び出るような値段となる。近頃はアッセンブリー交換が普通で、回路を追って修理できる技術者が居ないのではないだろうか。人件費も高いので、「新しく買った方が安いですよ」と言われる事も多そうだ。
 私の場合、ダメモト、壊れても良いと思ってやっているので、かなり思い切った事が出来るのは事実だが、異常には原因があるはずだという信念もあるからやってみる気になれる。こんな経験を積むと、物作りに対する勘が良くなるのは間違いないと思う。
 翌日、家人の尊敬の眼差しを一身に浴びた事は言うまでも無い。偉そうな事を書いたが、歳と共にこのような作業が面倒になって来たのも事実。それが残念。

 石川啄木記念館を訪ねて (2008.4.2)(5.6追記)
渋民尋常高等小学校 右斉藤家 
 宮沢賢治記念館、高村光太郎の高村山荘を訪ね、もう一人の偉人、石川啄木について書かないわけには行かないような気がしていた。今は盛岡市になってしまったが、啄木記念館は市中心部から車で30分程度北に行った所にあり、ついでに行けるようなところではなかった。
 滝沢のインターチェンジを降り、国道4号を北上すると程なく渋民の標識が見えてくる。「渋民」、不思議な響きを持っていると思う。啄木の他に接点は無いのに、どうして懐かしく心に響くのだろう。都市郊外の家並も田畑も見えなくなり、カラマツ林がなだらかな起伏をもって続いている。カーステレオからは新井満氏の「ふるさとの山に向ひて」が流れ、旧友に会うような興奮が湧き上がってくる。

 啄木が好きかと問われれば、「嫌いじゃない」と答えるだろう。「ふるさとの山に向ひて・・」「やはらかに柳あをめる・・」のように好きな歌もある。しかし、好きになれない歌もある。家内は啄木が嫌いだと言う。「あの貧乏ったらしいのが、どうしても嫌。泣きたけりゃ一人で泣いてなさいって感じ」と手厳しい。その作風以上に啄木の女性遍歴が我慢ならないらしい。芸者だけならまだしも、娼窟に足繁く通った事は軽蔑に値するのだろうか。それにも関わらず女性ファンも多いようだ。理想を追い求め、食い扶持だけの仕事には妥協せず、心のままに女性を求めたのも純粋さ故かも知れない。
 啄木の歌は解りやすいから好きだと言う人も居る。私は極めて解りにくい歌が多いと思う。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」、「一握の砂」冒頭の最も有名な歌だが、この情景がどうしても目に浮かばない。大の男が海岸で蟹を突きながら泣いているなんて事が果たしてあろうか。「ひょっこりひょうたん島」で、失意のドン・ガバチョが海辺に来て「あっ、カニさんだ」と呟くようなパロディーの世界としか思えないのだ。私の勝手な解釈で違うかも知れないが、「泣きぬれた」のと「かにとたはむれた」のは、時制が異なるのではないだろうか。望郷の歌にしろ東京で詠んだもので、「ふるさとの山に向ひて」歌ってなんかいない。
 
 国道4号線沿いの、旧渋民村の中心部近くに記念館はあった。幼少時代をすごした宝徳寺の隣にある。記念館は絶対にゆかりの場所に建てて欲しい。賢治記念館のように、駅に近いだけと言うのは困る。
 あいにくの雨で岩手山は見えないが、この辺を通過した記憶で大体の形は想像できる。この角度で見る岩手山が一番美しいと思う。盛岡中心部から見る岩手山は西に伸びる稜線が連なり、いわゆる南部片富士となる。ここからはほぼ左右対称なコニーデの独立峰になるはずだ。現在は家々が建って見えないが、昔はちょっと高台に登れば、北上川越しの岩手山が眺められたのだろう。朝に新雪を輝かせ、夕には逆光の中に煌く川面越しに黒いシルエットとなる岩手山、そして東方には優雅にたおやかにそびえる姫上山。これが啄木の原風景であることは間違いない。
 記念館入口ロビーでは、新井満氏の「ふるさとの山に向ひて」が流れている。「たった今車の中で聞いていた曲じゃないか」、とアプローチの高揚した気分が途切れなかったことをちょっと喜ぶ。
 いくら啄木とは言え、シーズンオフの平日の昼下がりに来館者が居るはずもなく、一人静かに小一時間見学した。啄木が使った机、ランプなどが残されている。最晩年の手紙は悲惨としか言いようが無い。ひとうひとつじっくり見ても興味は尽きない。
 啄木理想の”わが家”と言う模型があった。賢治記念館でも触れたが、文字を3次元化するのは止めて欲しいと私は思う。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎・・・
げにさなり、すわり心地のよき椅子も。
                「呼子と口笛」 家 より抜粋
 この詩から想像する家のイメージと、模型の家がどうしても一致しないのだ。物語を絵や模型にしようとするなら、原作者に劣らぬ創造力を持たないと、完全に原作に負けてしまう。
 外には啄木が代用教員として勤務した渋民尋常高等小学校と、当時間借りしていた斉藤家が移築されている。特に小学校はすばらしかった。着物を着た小学生が今にも飛び出してきそうな、東北の片田舎で熱き想いを抱いていた啄木が顔を出しそうな、そんな想像を掻き立てられるのも作為の無い本物の持つ魅力なのだろう。

 さて、もう一度啄木が好きかと問われれば、「好きだ」と答えそうだ。賢治のイギリス海岸のように、その地に立ってみないと理解できない事は確かにある。私の拙文で何万語を使って書いたところで、それは伝わらないだろう。もし興味がある方は、是非現地まで足を運ぶ事をお勧めする。

記念館内部は撮影禁止と言う事で写真は公開いたしません。日本のこうした閉鎖的な法規制を憤ります。著作権の問題なら、啄木の著作権は切れているはずで、この対応には疑問が残ります。
これを書くに当り、啄木の主要作品「一握の砂」「悲しき玩具」「呼子と口笛」日記他を慌てて読みました。


5/6 追記
 ローマ字日記を読んでみた。一昔前なら発行禁止の部類だろうが、我々も読むことができるのは良い時代だと考えて良いのであろう。
 かな文字に変換されていなければ、とても読む気はしない。試しに原文のローマ字のまま一字一句文字を辿ってみると、非常に綺麗な文章である事に気付いて驚く。かな文字だと斜め読みをしてしまっているようだ。改めて彼はそう簡単に泣くような男ではないと思う。
 函館に石川啄木を訪ねて (2008.12.24)
 啄木の事を書いたのだから、一応挨拶くらいはすべきだろうと、函館にある啄木の墓を訪ねた。路面電車の終点から徒歩約10分、函館山山頂を右に眺め、立待岬へ続く車一台が何とか通れそうな坂道の脇に、函館市街地を見下ろすように立っていた。陽気な墓なんてありはしないが、なんとも寂しげな場所だ。
 生気を失い、色素も抜け始めた萎びた花が一輪、墓前に供えられていた。「石もて追われ」た故郷、渋民には帰れず、一時期落ち着いた函館に帰る他無かった啄木の寂しさが、伝わって来るような気がする。墓標には最も有名な、「東海の小島の磯の・・・・」の歌が刻まれている。なんとも悲しい歌でやりきれない。
 湯の川温泉に続く片側2車線の幹線道路の傍に、啄木小公園があり、啄木の像がある。どこの町内にもありそうな本当に小さな公園。函館山を背に座した像の台座には、「潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」が刻まれている。この歌は好きだ。東京で詠んだ歌だったと思う。静かに昔を懐かしんだ歌は良い。どうしようもない苛立ちや悲しみををぶつけた歌は、読む方も辛い。
 

 ANAスチュワーデスフィギュア (2008.1.12)
 ANA スチュワーデスフィギュア
 2005年、ANAが客室乗務員の制服をモデルチェンジしたのを機に、初代から9代までのフィギュア10体を食玩として売り出した。機内サービスで出されるビーフコンソメとのセット販売で、中身は何代目が入っているかわからない。
 このコンソメ、手軽で美味しいので空港に行く度に何度か買ってみた。ところが案の定、4個目でフィギュアの方がダブってしまい、以来購入意欲が失せた。

 3体だけというのも寂しため、ネットで調べてみると10体揃いが7、8千円で売られているがちょっと買う気が起きない。ところが、一体欠品の物が3900円で見つかった。しかも、幸いな事に欠品分は手持ちがある。これは食指が動く。それでも躊躇していると家人の方が乗り気になってしまい、買え買えと言うのでめでたく全種揃った。
 別に毎日眺めているわけでも、美少女フィギュアのコレクターでもないが、シリーズ物は中途半端にしておけず、全部揃ったら落ち着いた。

 ところで、一個一個買って、全部揃えるとしたらどのくらい投資したら良いのだろうかと新た疑問が沸いて来た。これは確率の問題だから、高校の教科書を引っ張り出してみたが同じような例題はない。こういう問題を教科書に載せれば、もっと数学好きが増えるだろうに。得意な人なら気の利いた式を導き、簡単に計算してしまうだろうが悲しい事にそれだけの頭がない。
 一体目は100%持っていない物で、二体目に持っていない物を買う確率は9/10、こんな風に延々と考えて行けば良いわけで、とても筆算で求まるような値ではなく、PCのEXCELで力任せに解いてしまった。答えは平均29.29個買えば全部揃う。多分間違っていないつもりだが、もし間違いだと言う方がいらっしゃったら是非ご教示ください。

 100個位買わなければならないと思っていたので、予想外に少ない。考えてみれば最後の一体も1/10の確率で、宝くじなんかと比べたら遥かに高率である。私が買った4個目でダブったと言うのも確率から考えるとほぼ合っている。
 この食玩が売られていたとき、購入制限がありお一人様30個以内だったと思う。30個買えば全品揃うということだったのだろうか。食玩付きコンソメは、いくらだったか良く覚えていないが500円だとしたら、平均14,645円の投資が必要だと言う事になる。
10体揃ったことよりも、確率を考えた方が面白かった。

 上の写真、一番左にちょっと規格違いが一人いるが、こちらは富士急行のアテンダント。娘がアキバで買ってきた。秋葉原のジャンク屋詣でをしていた私には、女性が一人で行くこと自体不思議。メイドさんをしているわけではないので念のため。