アメリカ合衆国雑感 
 他の人から、私には縁もゆかりも興味も無いところへ旅行した写真を見せられ、自慢話を聞かされることと、昨夜見た夢の話を聞かされることくらい迷惑な話は無い。
 先日友人から16ページに及ぶ旅行記が送られてきた。それならば敵を討ってやろうと書き始めたが、一人のために書くのはばかばかしいし、かと言って関係ない友人に送りつける勇気も無い。ならば、読みたい人には読んでもらえ、興味の無い人には無視してもらえるこの場所なら、誰にも迷惑はかけないだろうと気ままに書き始めた。

 2003年9月、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで開かれた International Symposium on Scale Modeling 参加のため渡米した。学術関係の事は除き、単独行動で遊んだ思い出だけを記す。

飛行機のエコノミーで一番良い席は? (2003、2004.4.25追記、2007.6.13追記)
 長距離国際線のエコノミーでは、良い席が取れるか否かで快適度がまるで違ってしまう。横3席独占できればビジネスより快適だろうが、満席のど真中にでも押し込まれたら飛び降りたくなる。今回は高いお金を出した正規割引チケット(アメリカ東海岸ゾーンペックス14万円)のおかげで、事前座席指定ができた。しかし、通路側の席が残っておらず横並び5列の中央、トイレ後の、前に座席が無い場所を選んだ。
 離陸後数時間経ったころ、ひょっとして満席のエコノミーでは最上の席ではないかと思えてきた。まず前席の背もたれに圧迫される心配が無い。その上足元が広い。行儀が悪いが前の壁に足を付けると、幸いなことに私の足は長からず短からず、ちょうど良い長さでわずかに足上げの状態となって足を伸ばせる。 
 左右それぞれに二人が座っていても、足元が広いので食事中でも前を通って通路に出られる。私の顔を見たい酔狂な人か、どうしようもない方向音痴を除いて前を横切る人は絶対にいないから、足元に荷物を広げていても邪魔にならないし、トイレも近い。
 非常口横が足元広々で足を完全に伸ばせ、その上ジャンプシートに座った客室乗務員とお見合もできて、ベストシートという人もいる。しかし、Boeing777に限ってはそうともいえない。トイレが混むと目の前に列ができてしまい、おまけに臭う。こんな時は出てくる人と、目が合わないようにしなければなりませんね。
 帰路は隣が空席の通路側を確保できたが、14時間足を伸ばせないのは大変な苦痛で、恥も外聞も無く通路に寝転がりたいと心底から思った。
 10年も昔は横3列で窓際でも耐えられた。初めて長距離国際線に乗ったときのこと、嬉々として窓にへばり付き、ブラインドを下げられてもわずかな隙間を作って、シベリヤの荒涼とした大平原に伸びる一直線の道、たおやかにそびえるウラル山脈をいつまで飽かずに眺めていた。 ロンドン郊外の赤い屋根が雲間から出現した感動は忘れられない。
 そんな感動があったとしても、今は通路側を選ぶ。一つ言えるのは私のように行儀の悪い人間にとっては、何処に座ろうとエコノミーシンドロームとは無縁と言うことだろう。 

2004.4.25 追記
 エコノミーで水平に完全に足を伸ばせる席を発見した。BOEING747-300 JALハワイ路線専用機、通称リゾッチャと呼ばれる2階窓側である。ジャンボ2階席は達磨の頭部にあたり、下部ほど広がっている。このため席の下部と壁の間が空き、その部分は物入れになっており、高さは座面と同じでそこに足を乗せると水平になる。
 問題は足の位置で、前に座った人の真横になってしまう。知らない人の足が自分の真横にあるなんて私なら我慢できない。だからこの技が使えるのは、前後知り合い同士か、前席が空いている場合か、前席の人が熟睡している場合に限られる、という制約付き。ちなみにリゾッチャ以外の2階席はビジネスクラス。

2007.6.13 追記
5月末にアメリカ東部を往復した体験を追記する。
 実を言えば、今回はANAの特典航空券で無料(と言っても税金と空港使用料3万円弱は取られた)でシカゴを往復し、しかも復路はビジネスクラスと言う破格の旅行だった。この話は改めて。
 往路は一月前に座席指定した。BOEING777-300の24H.。一般的に最上とされる非常口脇の通路側。スクリーン前の中央が最上と上記したが、どうも通路側の方が良さそうだ。

長所 
・足が完全に伸ばせる。
・前が広々。前席の背もたれに圧迫されない。
・エコノミークラスの前方のため、割合早く降機できる。入国審査では行列になるので、これは重要ポイント。
・客室乗務員とお見合いができる。しかも適度な距離で、無理に話すことも無い。
・出入自由。誰にも気兼ねせず立ったり座ったり、トイレに行くことが出来る。食後、乗務員がトレーを片付けるまで席から動けないが、床にでも置いていつでも立てる。食後のトイレは混雑して行列が出来るのに、いち早く動けるためのんびりできる。
・いつでも補給が自由。いちいち乗務員を呼びつけるのは気が引ける。ちょっと立って「喉が渇いた」と言えば、ワインでもお茶でも飲み放題。水分の取りすぎによる生理現象も気兼ねなし。
短所
・乗客や乗務員が通る度に、伸ばしきった長い脚をほんのちょっと引っ込める親切が必要。
・目の前にトイレを待つ人の行列ができる。
・お見合い中の乗務員と目が合った場合、無理してでも微笑まなければならない。
・前席の後ろに付くポケットが利用できない。ちょっと不便だがバックを足元にでも転がして置けばよい。
 こんなところだが、横を人が通るのを厭うなら一つ奥の席"B"あるいは"J"でも良いと思う。両側に人はいるが、前はがら空き。窓側の席"A"、"K"はお勧めできない。まず窓側といっても窓が無い。前方には非常口の付属品?脱出シュートと救命ボートの格納部があり、まっすぐに足を伸ばせない。兵はその上に足を乗せるが、ちょっと辛い体勢となる。
 前にも横にも人がいる狭い座席に押し込まれたら、精神的、肉体的に苦痛を感じる歳になってしまった。だから上記座席が確保できないツアーでの旅行なんて考えられないし、座席指定のできない航空会社も選択対象外。良い席が確保できなければ旅程をずらしてでも何とかする。
 不思議なのは料金設定。一番高い航空券を買ったとしても一番良い席を取れるわけではないし、今回のような無料でも一番良い席が取れるわけで、慣れと情報収集が必要と言うことか。

ハリケーンイザベルと遭遇
 イザベルと言う強力なハリケーンがワシントン D.C. からエリー湖の方に向かう進路予想が出された。まったく運が悪いことに、私の移動日と来襲日が一致し、進路もすれ違いとなった。
 天気予報だけ流しているウエザーチャンネルと言うTV局がある。3日ほど前から見ていると、ぴたりと予想進路を進んでいる。ノースキャロライナあたりでは被害が出ているらしい。移動日の前日にはワシントンD.C. の空港はすべてクローズされたとの事。飛行機が欠航になればホテル、搭乗機を変更せねばならず私の語学力ではちょっと面倒。
 移動日の9月19日は朝から少し風が強く、雨も時折り吹き付けるが時間雨量5mm程度であろう。こちらの天気予報は温度、風速、気圧の単位が日本とは違う。日本の風速はm/秒なのにこちらはマイル/時で感覚的にわからない。金勘定なんかしてもしょうがないと電卓は持って来なかったため、延々と筆算で換算する羽目になった。すると風速は15mから20m/秒であり、気圧も960hPa程度である。日本の台風ならたいしたことは無い。その上航空路は、可航半円と呼ばれ風が比較的弱いハリケーン進路の左側(ハリケーンの風速からハリケーンの進行速度を引く)だから、風も心配するほどでは無いと予想。
 少々早めに空港に着くと、到着に遅れが少し出ているものの出発はすべてオンタイムで、何も心配することはなかった。
 飛行機は雲の上を少々揺れながら進む。怖い思いをするほどの事もなく、定刻に到着。ワシントンのダウンタウンでは土が流れ、小枝が折れ、ポトマック川は満々としており昨日の嵐が想像できた。
 大きな被害が出たようだが、日本なら何でもなかったのではないかと思う。河川の堤防なんてあるのか無いのかわからないし、家から直接ビーチに出られるようなローケーションで、これでは高潮でひとたまりも無い。少なくとも治水に関しては日本のほうが上だと、ささやかな優越感を感じた。 
 教訓 電卓は持って行った方が良い。

" I have a dream"
 キング牧師が有名な演説をした場所。多くのアメリカ国威発揚映画に出てくる場所。リンカーンメモリアルからワシントンモニュメントを眺めた誰でも知っている画像。
 この場所に立つと、良くぞここまで来たという感動以外の感情に支配される。何故アメリカはかくも立派な施設を必要としたか、移民国家アメリカの悲しい側面、ウイークポイントを垣間見たような気がする。何故か感傷的。 珍しくシリアスな文章。

 ワシントン D.C.とクリーブランドの地下鉄
 ワシントンの地下鉄は綺麗で快適だとガイドブックにも書いてあり、現地に滞在していた知人からも比較的安全だと聞いていた。このため移動は極力地下鉄と決め、ワシントンのダウンタウンをあちこち巡ることが出来たのだが、アメリカで一番怖かったのがこの地下鉄だった。
 帰路空港へ向かうガラガラの車内で対面に座ったのは、アフリカ系の長身の男。見るからにホームレス、ずっと一人で何かしゃべっている。視線も泳いでいる。アル中か、薬中か、平静を装い目を合わせないようにしていたが、本当に困った。あと2時間で機中の人となれば、日本に帰ったも同然なのに・・・・
 隣の車両に移ろうとしても、ドアには非常時以外開けるなと書いてある。次の駅でいったん降りようか、降りると15分は次の列車が来ないし、なんて事を何気ない顔をしながら考え、体は油断無く身構えていると、幸いにもその彼が降りてくれた。落ち着いて考えてみると、彼がしゃべっていたのはたわいも無いことなのだが、怖かった。
 地下鉄では毎回こんな人と乗り合わせる。不審者に何か売りつけられそうになった人は、ぶっきらぼうに"No!" こう言えば良いのかと学んだ。13、4歳の少女たちが4、5人乗り、そこに同年代の男の子が乗った。「ヘイ、かわいいお姉ちゃんたち!」と大声で叫ぶ。どうなるかと見ていると、少女たちは眉をひそめているが、平気で同じ駅で降りて行ってしまう。。日常茶飯事なのだろうか?
 一度だけ本当に安心して、楽しく乗っていられた時がある。女性のポリスオフィサーが正面に座り、そのアフリカ系の彼女は、ポリスアカデミーに出てくる小柄な丸ぽちゃの警官そっくりで、美人で可愛く愛嬌があって親近感を感じてしまい、私の降りる駅まで乗っていてくれよ、と願わずにはいられなかった。
 車内が怖ければ駅も不気味。デザイン優先なのか間接照明で、日本のローカル線無人駅の明るさ。エスカレータも半分は止っている。こんなものは動いているから便利で、止っているとこれほど不便な物は無い。歩幅が合わず転びそうになり、階段の方がはるかに楽だ。乗り場案内も見にくく、車両の行き先表示はそれ以上に見にくく、反対方面行に乗ってしまったのが、6回乗車中2回。間違いに気づいて次の駅で降りても、反対行は15分は来ない。歩いて15分程度の所へ行くのに40分もかかってしまう。
 一人旅で、言葉も不自由だとかなりの緊張を強いられ、これがアメリカかと痛感したが、今考えても強烈な思い出ではある。暗い、来ない、どこへ行くか分からない、エスカレータは動いていない、駅員はいないと無い無いづくしの地下鉄、それでも便利だから再び訪れたら汚い服装で、また乗るかもしれない。
 地下鉄以外もワシントンD.C.の治安は良いとは言えない。不審者に絡まれないよう早足で歩き回り、たった一人の観光は脚のトレーニングと知った。疲れた。
 クリーブランドでも空港の地下からダウンタウンまで直行する地下鉄がある。インフォメーションで地下鉄が便利と教えられたが、空港から大きな荷物を抱えて乗り込んだ人は他には居ない。見るからに労働者が途中の駅で続々乗り込んでくる。どうみても旅行者は場違いなのだ。しかも、何故かたったの1両しか客扱いをせず、結構混んでいる。
 私も含め、クリーブランドの会合で知り合った多くの日本人は、帰路はタクシーで空港まで行ったようだ。どうやらアメリカという国、普通のトラベラーは地下鉄には乗らないらしい。つくづく不便な国と思ってしまう。
 アメリカ合衆国の名誉(別にそんなものを守る義理は私には無いが)のために付記するが、どこもかしこもアメリカは怖いところではなく、たとえばケンタッキー州レキシントンでは何時間歩き回っても、レンタカーで走り回っても嫌な思いをしたことが無い。
 頼んでもいないのに、俺の馬を見て行けと誘われたり、ドアでぶつかりそうになった大男に"I'm sorry"と肩を抱かれたり、愉快なことばかりだった。他人の牧場に迷い込んでしまい、ライフルを担いだおじさんに呼び止められた時は緊張したが。
 そのレキシントン空港は一日数十便の離発着がある。それにも関わらず、定期バスがない。客待ちのタクシーがない。タクシーを呼ぶか、レンタカーを借りるか、迎えに来てもらうか、2時間あまり歩くかしなければダウンタウンまで行けない。アメリカでの交通事情は、日本の常識が全く通用しないのだ。

 ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群にて (National Air and Space Museumは以下 NASM)
NASMの飛行機 ライト・フライヤー
 入館後一番先に目が行く正面上に飾られている。史上初の動力飛行に成功した有名な機体。しかし、しかし綺麗過ぎる。おまけに人形まで乗っている。これ、レプリカなんじゃないの?
 東京の交通博物館にある日本で初めて飛んだアンリファルマン(これはレプリカ?)の方が汚れていてそれらしい。ライト・フライヤーのエンジンも、独特の翼を操作するリンクも遠すぎて見えない。本物が持つ感動が全然伝わってこない。
 ところで、ライト兄弟が航空史に名を残しているのはこの一機でだけと言える。独創的で人類初の栄誉を手にしてしまったばかりに、後に続いた発明家たちの先進性を吸収できず、特許権の係争に晩年を費やしてしまった。
 初めて飛んだチャレンジ精神よりも、この失敗にこそ学ぶべき事が多いと思うのは私だけだろうか。
NASMの飛行機 スピリット・オブ・セントルイスとルタン・ボイジャー
 スピリット・オブ・セントルイスは、言うまでも無くリンドバーグが1927年にニューヨーク-パリ間の無着陸飛行を成し遂げた、史上もっとも有名な飛行機の一つだろう。ルタン・ボイジャーは1986年に216時間かけて史上初の無着陸地球一周に成功した飛行機である。あまり有名ではないが、特異な形状が脳裏に焼きついている。
 予想に反し実機を見たとき、ボイジャーの方が感動した。「翼よ、あれがパリの灯だ」の映画も見た、本も読んだ、プラモデル(下写真)も作った、なのにそこにあるのは夢見ていた機体ではない。綺麗過ぎる。まるでレプリカのようで、潤滑油を浴び、氷に覆われ6,000km飛翔した名残がどこにも無い。おまけに展示が遠すぎて、リンドバークが33時間半過ごした空間がまるで見えない。(写真右)
 ボイジャーの方はインフォメーションの真上、その気になれば手が届く。飛行中に衝突した塵芥の後がくっきり残っている。二人が9日間過ごした機体はあまりにも狭い。腰を降ろすか横になっているしかない。その間の辛さが手に取るようにわかる。複合材で作られたハイテク機であり、映像ではテクノロジーのみに目が行くが、人間としての偉業は実物をみて初めて感じられる。(写真左)
 ところで写真のボイジャー、どちらが前かお解かりいただけるだろうか。どちらに進んでもおかしくない不思議な形だが、翼型を見ると左が前と断定できる。前に昇降舵、後に方向舵となる。
 ちなみにスピリット・オブ・セントルイスの同型機を日本でも数機輸入したそうである。しかし、前方に窓が無いこの特殊機を一体何に使ったのだろう。保存しておけばレプリカとして交通博物館の目玉になったかもしれない。プラモデル、実物と比べるとずいぶん違いますね。
 計算してみると、この2機の平均速度はほとんど同じ190km/h程度。燃料消費率と安定性を考えると、このあたりがベストなのだろう。
NASMの飛行機 X15
 1963年、小学校の修学旅行、名古屋の科学館でX15の映画を見せられた。純情だった私はいたく感動し、その内容を旅行記の600字詰め原稿用紙1枚に延々と書いた。映画をちょっと見たくらいで最高速度、最高高度なんてデータを覚えていられたのが不思議でならない。機体はインコネルXと言う超合金で作られたことも何故か忘れていなかった。それがチタン合金で耐熱鋼であることは大学に入ってから知った。
 この機体のプラモデルは大きさも手ごろで作りやすく、世界最速に憧れて2度作った。飛行機というとアルミ光沢が多いが、X15はすべて黒のつや消しでそれだけでも魅力的。プラモデルではつや消し塗装のおかげで荒が出にくく見栄えが良い。
 「模型実験の理論と応用」にはX15の模型実験例(3版 p119)が載っており、亜音速時の特性を犠牲にしてでも超音速時の安定性と推進力を優先し、尾翼、胴体の後部は底面を持っている(尾翼はくさび型)と書かれている。プラモデルは確かにそうなっているが、是非本物で確認したいと思っていた。
 本当に尾翼の後部は厚さが10cmくらいありました。NASMに飛行機の翼厚を見に行った人なんてあまりいないだろうなあ。
 世界初の超音速機ベルX1(上写真、左上のオレンジの機体)は有名だが、その本物よりもやはりX15に思い入れが強かったようだ。下写真のレベル社製プラモデル、ずいぶん手を抜いてますね。
NASMのフライトシュミレータFlight Simulator
 NASM内にフライトシュミレータがあった。観察していると傾斜角45度近くにもなり、中年のおっさんが試してみるにはちょっと過激なように思える。しかし、今度何時来れるかわからない。「科学館のシュミレータで鍛えた腕だ、試さないでどうする」、と意を決した。
 仙台市科学館のフライトシュミレータは、FA-200、エアロスバルのシュミレータで、曲技飛行も出来る。来館者の少ない時間を狙っては、宙返り、インメルマンターン、背面飛行を試して、係りのおねえさんを呆れ返らせたものだ。本当の背面飛行では体がひっくり返り、ベルトで辛うじて体を支えられているのだろうが、シュミレータでは単に景色の上下がひっくり返るだけ、逆Gは体験できない。
 さて、NASMのシュミレータは、米空軍主力のF-16だそうである。乗り込む前に係りのおねえさん(珍しく無愛想な人だった)からポケットの物はすべて出すように忠告される。キャノピーが被せられると眼前に30インチ程度のディスプレイが現れる。
 スタートするといきなり戦場上空となる。ぞろぞろ出現する敵戦車を機関砲とミサイルで撃破するミッションのようだ。私は空港から離陸し、観光飛行する方が好きなのだが、この辺がいかにもアメリカ的と言えるかも知れない。しかし、F-16は戦闘機で、対地攻撃はしないはず。FA-18戦闘攻撃機の間違いではなかろうか。まあ、細かいことはどうでも良いけれど。
 さて、動き出し操縦桿をちょっと傾けてみる。その途端体がひねられるようにいきなり30度以上も傾く。さすが戦闘機、運動性重視で、この過激さはちょっと怖い。操縦桿はやさしく扱わなければどうなるかわからない。前に傾けると体がつんのめるようになるし、旋回しようとすると右に左に振り回される。宙返りでもしようものなら本当にひっくり返る(構造からそれは不可能なはず)のではないかと思え、操縦桿を引き続ける勇気は出なかった。
 戦車撃破のミッションは、機関砲ではなかなか当たらず、ミサイルではいとも簡単に当たる。しかも、玉数が無限。コンバットゲームの趣で純粋に飛行機の模擬操縦をしたい人には物足らないであろう。
 遊園地の絶叫マシンと考えればおもしろいが、所詮はシュミレータで1G以上の加重は経験できないし、2輪車でカーブを曲がる時に体がひねられることが無いのと同様、バンクしながら旋回すれば、体は椅子に押さえつけられるだけでひねられたりしないと思うのだが、実機を操縦したことが無いのでこの点は想像である。


英語が下手な私の対処法
 私の英語でも、不思議なことに買い物の時は全く不自由しない。相手も売りたいから愛想良く、こちらが理解できるように話してくれるのだろう。と言うことはこちらが良くわからないのは、相手が私にわかってもらおうと言う意思が希薄なためで、それならば理解できなくても気にすることは無い。
 あるギフトショップで、値段を「タァテトゥ」と言う。聞きなおしてもわからず紙に書くように頼むとレジスターを指差す。なんと$32であった。「サーティーツー」って言えよ。まったくもう。
 日本なら静かにしていられるタクシー、アメリカでも基本的にはそうなのだが、努めて話しかけるようにした。こちらの語学力を明らかにしておけば、言葉が足りないところも理解してくれ、変なことを言っても変な所に連れてゆかれる可能性は低くなるに違いない。それにしてもあちらのタクシーはぼろだねえ。日本なら廃車だよ。
 ホテルのエレベータであちらの人と二人きりになったとき、なにやら冗談を言われたがさっぱりわからない。仕方なく、「英語はあまり得意じゃないので、あなたが言ったことはわからない。ゴメンナサイ」と答えたが、私の英語が馬鹿丁寧だったのか、自分で言ったことがよほど下らなかったのか相手を恐縮させてしまったようだ。
 夕食に招待された時、"How Kind of you to let me come!" と言ったら吹き出されてしまった。日本人の旦那さん「そりゃ、明治時代の英語だ」。このせりふ、一度言ってみたかった。映画"My Fair Lady"の歌でやっと覚えたのだから。
 一番困るのは不審者と接した場合。街角で物を売りつけられそうになった時、無視すると「なんだよ、このケチ」てな事をスラングで言われたのは分かった。たいていの場合は無視していれば良いようだが、こちらの身に危機が迫っている事を認識できなければ対処のしようがない。
 突然話しかけられてどぎまぎするよりも、こちらから話しかけてしまうのが利口なようだ。英会話の練習になるし、話す内容はこちらが話しかけた事に決まっているのだから、何の話か考える必要は無い。少なくても黙ってニヤニヤしている変な日本人とは思われないだろう。